粟鹿神社(兵庫県)

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古来より山陰道の宿場町として栄えた緑風の郷と呼ばれる兵庫県朝来郡山東町に、但馬国一の宮である「粟鹿神社」(あわがじんじゃ)は鎮座されています。

山東町には古墳時代の遺跡や虎御前(とらごぜん)の墓と伝えられている諏訪石造七重塔などの史跡も数多く残っています。

ちなみに虎御前とは、鎌倉時代初期の遊女で、武士の曾我祐成(そが すけなり)の妾ですが、お虎さんや虎女(とらじょ)とも呼ばれており、曾我兄弟の仇討ちを描いている「曽我物語」や「吾妻鏡」にも出てくる実在したとされる女性のことです。

この地域の水は粟鹿山を源流としており、とても清く2軒ある老舗酒屋では、灘や伏見の蔵元からも一目置かれる銘酒が造り続けられています。

創祀が紀元前に遡るといわれている「粟鹿神社」は、町の天然記念物に指定されている鎮守の杜に囲まれており、とても落ち着いた清清しい空気に満ち溢れているため、参拝すると心の穢れが落ちていくように感じます。

「開かずの門」という異名を持つ勅使門は、例祭のとき以外には開かないのでそう呼ばれていますが、応仁の乱の兵火を逃れたもので、門扉にはかの有名な左甚五郎の作となる鳳凰の彫刻があります。

この鳳凰の彫刻は、あまりの名作ゆえに魂が宿り、夜毎に鳴きだしたため、首を切り落とされてしまったと伝えられており、右側の扉の鳳凰には首がありません。

また、地名ともなっている粟鹿というのは、角の間から粟が生えた白鹿が粟鹿山に住んでおり、白鹿が粟を三束くわえて粟鹿山から現れ、人々に農耕を伝えたことに由来するといわれています。

 

【由緒】
「粟鹿神社」は但馬国でも随一の古社といわれ、2000年以上の歴史があるとも伝えられており、景行天皇の御代に熊襲を征伐する行軍の途中、社殿を創建したと社伝には記録されています。

和銅元年(708年)にご祭神や歴代祭主などが詳細に記載されている「粟鹿大明神元記」の写本が今でも残っており、この「粟鹿大明神元記」によると、但馬国の粟鹿の嶺に「大国主神」(おおくにぬしのかみ)の御子神で「天美佐利命」(あめのみさりのみこと)という荒ぶる大神がいらっしゃり、その「天美佐利命」を鎮め祀って「粟鹿大明神」とよんだといいます。

「粟鹿神社」は、朝廷の信頼が厚く、国家の大難に際して4度の勅使が遣わされたと伝えられており、約600年前には勅使門が建てられたといわれています。

 

【ご祭神】
粟鹿大神(あわがのおおかみ)-お祀りされている十一柱の神々の総称
「主祭神」
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)-山幸彦
日子坐王(ひこいますのみこ)-開化天皇の第3御子で山陰に派遣された四将軍の1人
天美佐利命(あめのみさりのみこと)-大国主命の御子神

 

【主な行事】
当神祭-2月11日
祈年祭-旧暦2月4日
大祓-7月15日
例祭(瓶子渡し)-10月17日

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