若狭彦神社(福井県)

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京都へ鯖などの海産物を運ぶ「鯖街道」の起点となっていた福井県小浜市、東小浜駅から南へ500mほど歩くと、石造りの大鳥居があり、さらに奥へ進むと随神門の先に大杉が見え、巨木に包まれた境内も見えてきます。

本殿の瑞垣の中にひときわ際立つ千年杉がそびえ立っているこの場所に「若狭姫神社」(わかさひめじんじゃ)は鎮座されています。

「若狭姫神社」が鎮座されている場所から、さらに遠敷川(おにゅうがわ)の上流方向に約2kmほど歩くと鬱蒼とした森が目に入り、薄暗い参道が奥へと続いています。

参道の脇には鳥居に見立てたと思われる二本の杉があり、隋神門を抜けると鎮守の杜に包まれた境内に「若狭彦神社」(わかさひこじんじゃ)が鎮座されています。

「若狭彦神社」は、古くは「若狭彦神社」を若狭国一の宮とし、「若狭姫神社」を二の宮としていたが、今は「若狭彦神社」を上社(上宮)、「若狭姫神社」を下社(下宮)として、二社を総称して若狭国一の宮「若狭彦神社」と称しています。

「若狭彦神社」は、鬱蒼とした鎮守の杜に包まれているせいか、とても神さびた佇まいの落ち着いた雰囲気が漂っています。

また、畳・敷物業者の神ともされており、インテリア関係者の信仰を集めています。
「若狭姫神社」は、「若狭彦神社」の社殿と同じ配置で、「若狭彦神社」のご祭神の妃神が鎮まるのにふさわしい清楚な雰囲気が漂っています。

「若狭姫神社」は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれている「陰陽石」や乳が垂れたように見え乳神様と呼ばれている大銀杏があります。

室町中期ごろより、ほとんどの祭事は下社である「若狭姫神社」中心に行われるようになっています。

両神が降臨されたと伝わっている鵜の瀬の清流は、奈良東大寺の「お水取り」の若狭井の水源とされています。

 

【由緒】
社伝によると、両神社の二神は遠敷郡下根来村白石の里に始めて垂迹したといわれており、その姿はまるで唐人のようであったといい、眷属が八人いたとされています。

和銅7年(714年)に両神が垂迹した白石の里に上社である「若狭彦神社」が創建され、翌年に今の場所に遷座されました。

白石の前の鎮座地には、「若狭神社」の境外社である白石神社が建てられています。

また白石の下にある鵜の瀬(二羽の黒鵜が両神を迎えたとされる地)と呼ばれる淵が、東大寺二月堂の閼加井に通じているといわれています。

養老5年(721年)に、下社である「若狭姫神社」は、上社より分祀され創建されました。

元々、上社である「若狭彦神社」が祭祀の中心であったが、室町中期より下社に移り、中世には社家の牟久氏が京都の官人や有力御家人と結びつき、広大な社領を有したと伝わっています。

 

【ご祭神】
「若狭彦神社」
若狭彦大神(わかさひこのおおかみ)-彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
「若狭姫神社」
若狭姫大神(わかさひめのおおかみ)-豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

 

【主な行事】
下若狭彦(若狭姫神社)祭-3月10日
上若狭彦祭(遠敷まつり)-10月10日

 

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